「あなたの土地は大丈夫?」知らないと損をする地盤のこと vol.29

このページで使用している画像、文章は「株式会社 扶桑社」の了承を得て転載させていただいております。
「新しい住まいの設計」

1996年5月号

(解説・監修 ジオテック株式会社 住宅地盤相談室)

大都市はすべてかつての入り江に立地しています

関東平野は我が国最大の平野で、多摩川、荒川、利根川などの大河川の中流域から下流域にかけて発達した平坦な低地です。ここに徳川幕府によって江戸城が築かれて以来、人工は爆発的に増加の一途をたどり、現在見られるような大都市圏へと成長するわけですが、実はその中心部がかつては海面下の入り江であったことは、あまり知られていない事実ではないでしょうか。

地形学では、多摩川低地、東京低地、荒川低地とよばれもする河川の流域は、縄文前期にあたる約6000年前には水没していたことが、さまざまな調査結果から明らかになっているのです。図1では、黒くシルエットに塗られている部分がかつての陸部で、点線は現在の海岸線を示しています。すなわち、相模川下流(平塚付近)、多摩川下流(大田区、川崎市)、荒川を遡って川越付近まで、中川・江戸川を遡って埼玉県栗橋付近まで、利根川を遡って茨城県下妻付近まで、霞ケ浦・北浦の全部と九十九里海岸はすっぽりと「湾」になっていることがわかります。

このことは縄文時代人が居住していたであろう貝塚遺跡を地図上にマークし、その貝塚同士を線で結ぶと、海岸線らしきものがくっきりと浮かび上がってくることから提唱されるようになり、後に実際のボーリング試掘によって裏付けられることになったのです。貝塚からは海でしか生息しないはずの貝類が見つかり、調査データからは海で堆積した砂が出てきたのです(図2)。

どうしてこんなことが起こったのか、主な理由は2つあります。ひとつは、河川が上流から運んできた大量の土砂が海を埋め立てて陸地が拡大したことが考えられます。今でも江戸川下流などでは川底が浅くなるほど土砂が流入し、毎年のように浚渫工事を行わないと河口が塞がれてしまうほどなのです。

二つ目の理由は、我々の想像を超えることなのでが、いわゆる「氷河期」に関連します。地球は何度も氷河期と間氷期を繰り返し経験しているのですが、約6000年前は何と地球の温暖期のピークだったころで、北極や南極の氷が溶けたために、海水面が今より数十メートルも上昇していたのです。氷が徐々に解けるにしたがって海が海抜高度の低い場所へと進入し始め、ついには図のような入り江を形成するまでになったのです。

その後、再び機構が寒冷化しているために、南北両極には氷が形成され、徐々に海は退いていき、現在の海岸線まで後退したのです。目下話題になっているオゾン層破壊による地球の温暖化現象は、本来の自然の摂理を、わずか数十年で人為的に改変してしまうことの危険が取りざたされているのであって、海面が急上昇すれば、たとえばバングラデシュ一国がすべて水没してしまうと予測されてもいるのですが、我が東京低地の海抜0メートル地帯も重大な危機に直面することになります。

さて、かつて海であった場所が陸化したことは考古学的事実として、その同じ場所が、地盤の軟弱な低地にぴったりと一致しているというのは困ったことではないでしょうか。海であった低地に、河川が運搬してきた土砂が追いかけるように堆積し、そのまま軟弱層となったのです。地質学上の数千年はいわばほんの最近のことであって、その間に地盤が締るということにはならないのです。しかも土砂が流入したとはいえ、海を埋め立てたというだけで、決して高台を形成したわけではなく、依然低地であることに変わりはなく、低地はすなわち軟弱地盤の代名詞なのです。

縄文期の海面の上下動は何も関東平野だけに起こったことではありません。日本ではたまたま縄文時代に該当したのであって、世界的にも同時に認められて現象です。ですから、海抜高度の低い土地では、どこもでも同じような海面上昇を経験したはずで、名古屋、大阪、仙台、新潟、札幌などはいずれも水没していた低地に発達した都市なのです。